お疲れ様です。ゆるっとです。
本日はプロフィールページを更新しようと思ったのですが、思いのほか幼少期のエピソードが長くなってしまいそうだったので、記事として投稿することにしました。
いや~、自分のことながら、抜粋にもかかわらずなかなか濃いですわ。
ではさっそく見ていきましょう。
【幼少期】父母姉、祖父母、叔母2人の計8人家族の家族構成。
生後半年の離乳食時期であろう我が子に、海苔巻きを食べさせる母の元、次女として育つ。(母曰く、食べさせた理由は『あなたが食べたがってたから』。何とも子ども想いの母である。)
また、座敷のテーブルの上からと二段ベットの上からの落下経験がある。頭を少々打ったくらいでケガもなく、少し変わってる程度で今も生きている。
人見知りのくせに家ではおしゃべりな内弁慶で、常に歌うか踊ってるかの落ち着きのない子として認定されていた。
父母ともに仕事が忙しく、ほとんど一緒にいられる時間はなかったようだが、本人はそのように感じない。まさに量より質で、凝縮された家族時間を過ごし、両親が注いでくれる愛情を受け止めて育つことができたように思う。両親がいない間は、祖母や近所の方、昔からのお付き合いのある方にも大変お世話になり、姉と共にすくすく育つことができた。
アン〇ンマンよりもディ〇ニーアニメの見て育つ。当時は『眠れる森の美女』が特にお気に入りで、良く物まねをしていたそうだ、魔女の(←そっち?)。
キラキラしたものやドレスが大好きだったが、意外にも『シンデレラ』や『白雪姫』の王道プリンセスにはさほど興味がなかった記憶がある。ただ、長い髪に憧れがあったようで、頭に毛糸を一本だけ付けて、『髪の毛長いと思って~』と親に見せびらかしていたらしい。
また、なにやら真剣に本を読んでいる様子もあり、母が『何見てるの?』と聞くと、私は答えた、『岩ノリ』と。他にも公園かどこかで遊んだ帰りに言った一言は『あ~、ひじきの煮たの食べたい~』だそうで、何とも渋好みであった様子が伺える。
とにかく怖がりな子であった。特に注射に関して『看護師さんをなぎ倒していた』という情報もある。そしてこんなやり取りもあったらしい。
(私)『今はダメなの~!!』
(先生)『いつならいいの?』
(私)『ずっとダメなの~!!!』
とんだ迷惑な子である。
お化けも当然苦手で、怖い話を聞いた後、しばらくトイレに一人で行くことができなかった。叔母にトイレの中まで入ってもらい、大の方をしていた記憶がある。(その節は申し訳なかった)
幼稚園時代は、ブイブイいわせていた。私ともう一人の女児が学年の2大巨頭みたいなポジションにいた。今思えば謎である。思ったことをはっきり言えていた時代。それが仇となり、卒園後に同学年の男子に声を掛けたら、その男子にダッシュで逃げられる経験をした。名前を呼んだだけなのに。
そこで初めて、『あ、怖がられてたんだ』と反省した。
絵本が好きでよく読んでいた。いわゆる童話や昔話も好きだったが、一番印象にあるのは『チロヌップのきつね』戦時中の話で子どもながら感じる所があったのか、号泣しながら読んだ覚えがある。
他にも『ごんぎつね』や『フランダースの犬』などで大人の身勝手さを知り、何とかならないのか、といたたまれない気持ちになって読んでいた。
ざっと幼少期はこのような感じで過ごしておりました。小学校は地元ではなく女子校に通いました。卒園後に環境ががらりと変わり、私も人格が変わっていったように感じるので、自分でも面白いなと思います。そちらはまた別の機会に。
ではまた、お会いしましょう。
コメント